ついこの間まで「秋だぁ~」と眺めていた景色も、「あっ」というか「ぁ」という間に終わってしまった。
未練がましく秋の記憶を思いながら、散ってもなお美しいモミジをちょっと並べてみる。
たとえ散ってしまっても、今度は足元に広がる赤や黄色の秋模様。
外出を控えている時期でもあり、過去に撮ったものを懐かしみながらアップします。
晩秋の市島邸(新発田市)。
新潟県内有数の大地主・市島家の邸宅で、明治初期に建てられた。
建物を囲む広大な庭はとても美しい。
自然の美しさを取り入れた回遊式庭園・静月園は、四季折々の趣がある庭。
地面に敷き詰められたもみじの絨毯や池に浮かぶ様子など、散った後も美しい光景が楽しめる。
真っ赤なモミジに黄色の差し色。
歩くのがはばかられるくらい綺麗に散った庭の道。
散っていく葉。冬を越える葉。二つの色が混ざり合う。
池に浮かんだいろいろな葉が友禅模様のよう。
邸宅の廊下からガラス越しに見える錦模様。思わず足が止まってしまう。
(新発田市 市島邸)
今年はこの市島邸の敷地内で人が熊に襲われケガをするという衝撃のニュースがあった。
もう来ないことを祈るばかり。
同じ新発田市の清水園の写真も少し。
新発田の藩主・溝口家の下屋敷に広がる庭は、広い池を囲む回遊式庭園。
季節によって樹木の色が映えて、和の風情がそこかしこに見れる。
青々として美しい苔の上に散ったモミジ。お殿様も庭に出て、同じ景色を見ていたのかもしれない。
(新発田市 清水園)
葉っぱは、けっして人の目を楽しませるためにあるわけではない。(そう思えるような風景には出会うが)
光合成をして栄養分を作ることが本来の役目。
春から頑張ってきた葉も、日差しが減り、寒くなってくると、あまり栄養を作れなくなる。
葉を維持するにもエネルギーを使うので、そうなると木は葉を落とし、冬を乗り切る力を蓄えようとする。
落とす前に、葉の養分を幹に回収してしまうために起こるのが紅葉。
それが終われば葉は落ちる。
それらは全部、木が生きるための活動でしかない。でも、なんだか美しいのだ。
色づいた木々に心和ませ、散った葉に哀愁を感じる。
四季を知る私たちが、自分の嬉しさや寂しさを重ね合わせながら見てきた自然の繰り返し。
木にしてみたら「は?」なのだろうが(葉だけに…)、それは細やかな感情を持つ人間の素晴らしさ。
春から秋まで、お疲れさまでした。
ということで、もう少し、モミジ、続けます。(冬だけど…)