よく晴れた秋の午後、紅葉で有名な庭園へ。
見頃は過ぎていたが、まだ残っている紅葉を見ながら静かな散歩。
新潟市秋葉区の「中野邸記念館」と「泉恵園(せんけいえん)」へ。
かつて日本の石油王と呼ばれ、
三菱や住友などの財閥に並ぶ納税額を誇った中野貫一の邸宅と広大な庭で、県内でも有名な紅葉名所。
この日は来るのが遅くなり、到着したのは午後2時頃。
秋の陽は短いので、もう影になっている場所も多かった。
陽が当たっているうちに回りたかったので、急いで「中野邸記念館」へ。
予想はしていたが、すでに見頃は過ぎていて、散ってしまった木も多かった。ちょっと残念。
邸宅内から庭を望む。気持ちのいい空間。
古いお屋敷で静かに庭を眺める贅沢な時間。
でも今日は時間に余裕が無いので、ゆっくりもしてられない。先へ進もう。
蔵の前に立つ大きなイチョウが鮮やか。
ここはレトロな雰囲気が素敵な食事処だったのだが、もう閉めてしまったのだろうか。
外のテーブルと椅子はそのまま置かれていた。
本当は、邸宅内にはいろいろな部屋と展示品がたくさんあるし、
敷地内には蔵もいくつかあり、中野家収集の美術品や石油文化資料などを展示している。
かなり見ごたえのある場所なのだが、それはまた別の季節にとっておこう。
陽がどんどん傾いてくるので、早めに切り上げて、隣にある大庭園「泉恵園」へ。
12,000坪の庭園に130種、2,000本のもみじがあるという「泉恵園」。
その広さは、庭園というより裏山! というスケール。
色とりどりのモミジは京都や四国から色のよいものを選んで植えたという。
残念ながら見頃を過ぎ、すでに葉を落とした木が多かったが、まだ陽射しも残っているので足早に楽しもう。
「何事もなしえぬ 老いの身にしあれば あつき恵みに いかで報いむ」
明治・大正時代に日本の石油王と呼ばれた中野貫一が最晩年に詠んだ和歌の碑が建っている。
「私もすっかり年老いてしまい、大したこともできなくなった。
石油採掘に成功し今があるのは、神仏のご加護を受け、多くの人々に助けていただいたからに他ならない。
授かった多くの恵みにいかに応えようか。」(意訳は中野邸記念館HPから)
彼は石油採掘で得た私財から、教育をはじめ多方面に巨額の寄付をしている。
また、この広い邸宅や庭も、当時の失業対策として、敢えて長い年月をかけて大規模に造ったらしい。
まだ葉をつけている大木。陽に照らされて力強く見える。
秋の陽は本当に速い。かなり傾いてきた。
ここは庭というより山なので、モミジ以外にもいろいろな種類の木が。
この庭の中には洞窟が二つある。
それぞれに千手観音と観世音菩薩の像が置かれ、洞窟観音と呼ばれている。
中野貫一、忠太郎親子の石油採掘は、最初からうまくいったわけではなかった。
掘れども掘れども商業規模の油田を掘り当てることができず、
大地主であったはずの家も傾きかけてしまう。
ある日、忠太郎の枕元に観音様が現れ、『この井戸をもう一度掘りなさい』と告げた。
それに従い、その井戸を再掘削したところ商業規模の油田を掘り当てたのだという。
親子は神仏の御加護に感謝し、敷地内に多くのお堂を建立、神仏像を収集した。
この洞窟観音もそのひとつなのだろう。
それにしても広い園内。
傾いていく太陽と追いかけっこの散歩は、後半へ続く…