NIIGATAさんぽびと

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夕暮れの八木神社

 

 

よく晴れた秋の夕暮れ、里山の静かな神社へ。
境内の杉の長い影が伸びていた。

 

 

八木ヶ鼻を撮影した八木橋のすぐ近くにある八木神社。
もう陽は傾いていたが、ちょっと寄ってみた。

 

立派な石碑に彫られた社名は、
地元、旧下田村が誇る偉人、諸橋徹次(もろはしてつじ)博士が書いたのだそう。
あまり馴染みがないかもしれないが、「大漢和辞典」の編著で有名な大漢学者。
近くには立派な記念館もあり、生家も残されている。

 

 

大きな杉が並ぶ境内へ。

 

 

「八木やまの こかげ涼しく わき出でし 清水は神の 恵みとぞおもふ」

立派な石碑に刻まれているのは、
新田重基が、祖先の新田義貞父子を祀るこの神社を訪れて詠んだ歌だそうな。

 

 

神社の手水舎に出ている水は、八木ヶ鼻の西斜面から引いてきた天然湧水。
新潟県の名水指定も受けている。

 

 

かつては湧き水が50か所近くもあったという水の里。
清らかな音が静かな境内に響いていた。

 

 

すっくと伸びた大きな杉。
樹齢500年以上、幹回り5.75mの下田の名木。

 

 

八木神社の創立は古く、
807年、八木大明神(稲作の神)と守門大明神(門戸安全を守る神)の二神を
八木ヶ鼻の山頂に祀ったのが始まりとされる。
現在の場所に移って数百年後、越後に縁の深い新田義貞父子を合祀。
また、ダム建設による近隣集落の集団離村があり、昭和末年、それらの鎮守社の四神も併せて祀ることになった。

 

 

「祈願 疫病菌拡大防止 終息」の文字が大きく書かれていた。
あとどれくらいで、これが要らなくなるのだろう。

 

 

神社からは八木ヶ鼻頂上への登山道が続いている。15〜20分ほどで行けるが、
かなり陽も傾いていたし、この辺りはクマも出るので、この日はパス。

 

 

影が伸びた境内を戻っていく。

 

 

この神社に寄る前に、すぐ脇の八木橋から八木ケ鼻の写真を撮ったが、あの橋は五代目。
今から170年以上前の江戸時代末期に架けられた初代の八木橋は、
この参道からまっすぐ伸びた先に架けられていたそう。

 

初代八木橋竣工時に配られた木版刷り(境内にあった説明板より)。

 

モデルになった橋は、日本の三奇橋と言われた富山の「相本の橋」。
人を派遣して設計仕様を写し、二年余りをかけて完成させた。
橋長約45.5m、幅約3m、水面高約13.3m、橋脚のない立派な橋だった。
当時、五十嵐川に架かる橋は他になく、その姿に旅人は驚き、近郷の話題になったという。
現在の五代目八木橋は、8mほど上流に移動している。

 

 

夕暮れの静かな神社。
この日は雲ひとつない秋晴れだったので、この時間まで明るい光が射してくれた。

帰り道。
車を走らせながら聴いたカレン(カーペンター)の歌声が、
少し赤みを帯びた空に染み渡っていくようで、なんとも清々しかった。