NIIGATAさんぽびと

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醸造のまちへタイムスリップ Ⅰ

 

 

長岡市の「摂田屋」地区は、古くから醤油や味噌づくりが盛んな「発酵・醸造のまち」。
散策していると、まるでタイムスリップしたような気分に。

 

 

長岡市にある「摂田屋(せったや)」地区は、古くから醸造業が盛んな町。
米どころにあって、美味しい水にも恵まれ、
戦国時代から酒蔵が立ったことから、味噌や醤油などの発酵食材作りが発展した。
母屋や土蔵など、無数の登録有形文化財が今も残っていて、
街を歩けば、レトロな景観が旅愁を誘う。

 

「摂田屋(せったや)」という変わった名は、
江戸時代に参勤交代も往来した旧三国街道沿いにあったため、
旅人をもてなす「接待屋(せったいや)」から転じたものと言われている。

 

 

この日は摂田屋のシンボル的な存在の「機那サフラン酒製造本舗」へ。
明治から昭和にかけて「養命酒」と勢力を二分した薬用酒「サフラン酒」で財を成した
吉澤仁太郎の屋敷と蔵が残っている。

 

仁太郎が死去し、戦後になると事業も衰退。
吉澤家の子孫は広大な敷地をなんとか守り続けたが、
立派な石垣に囲まれた庭園や建物の管理までは手が回らず、閉ざされたまま荒廃し、
地元の人たちもその存在を忘れかけていた。
そして2004(平成16)年の中越地震では、土蔵の漆喰(しっくい)が崩れ落ちるなど、
庭園全体がダメージを受けてしまった。


その後、「貴重な建造物を後世に残したい」という地元の有志の尽力のおかげで、
鏝絵(こてえ)の蔵は国の登録有形文化財の指定を受け、補助金で修復された。
現在、敷地内には10棟の建物が残っていて、そのすべてが登録有形文化財に指定されている。

 

一番の見所がこの「鏝絵蔵」。

 

 

鏝絵(こてえ)とは、左官職人が鏝(こて)で描く漆喰のレリーフ
削って造る彫刻に対して、鏝絵は漆喰を盛って造る芸術作品。

 

案内板によれば、
この鏝絵蔵は全国コテ絵番付があれば「横綱」ランクと言っていいらしい。
壁から軒から戸袋までこれほど全面に展開したものは極めて珍しく、
さらに絵が大振りで、鮮やかで多彩。

 

 

鮮やかな色彩が美しい。
十二支をはじめとする17種の動物・霊獣・九種の植物が描かれている。
普通、鏝絵は蔵のポイントとして部分的に使われることが多いが、
よくこれだけ、ひとつの蔵に散りばめたものだ。

 

 

軒下の龍の細い髭が浮いている! コテ一本でどうやって造ったのだろう。

 

 

1階部分は、漆喰を目地にかまぼこ型に盛り付けたナマコ壁。
美しい白と黒のパターンが色付きの鏝絵を一層引き立てている。

 

 

この鏝絵の作者は左官職人・河上伊吉(かわかみいきち)。
仁太郎の美意識に共感した親友で、伊吉の鏝絵はここでしか見られないという。
極彩色が際立つブラックベースに立体感のあるダイナミックな鏝絵だ。

 

 

軒下の龍の左隅に小さく「左伊」のサインが。「左官・伊吉」の意味だろう。

 

 

奥へ進んでいくと、主屋の南側に建っているのは衣装蔵。
先ほどの鏝絵蔵より古い建物で、こちらにも見事な鏝絵が施されているが、
まだ修復前のため、漆喰がはがれ落ちるなど震災のダメージが残っている。

 

 

衣装蔵の土台には、湿気調節のためのスライド式の通気口が付けられている。
サフラン酒をデザインした取手がオシャレ。
ガイドさんは片手で動かしていたが、実際に触ってみるとかなりの重さだった。

 

 

さらに奥へ進んで庭の方へ。
贅を尽くした広い庭園で、錦鯉が泳いでいたり、珍しい石が置かれていたり。
ちなみに写真の石は翡翠だそうです。高価な石がそこらへんにゴロゴロ。

 

 

群馬県の「鬼押し出し」から運んできた浅間山の溶岩が山のように積まれていた。

 

 

庭の奥に建つ「離れ座敷」へ。


普段は入ることはできないが、この日はガイドさんと一緒に中を見学できた。
唐破風屋根の玄関が特徴的な建物で、これも国指定の登録有形文化財

 

 

ガラスが割れにくいように、戸の枠にはこんな金具が付けられている。
よく見ると小さいハートが…

 

 

派手ではないが、細部にこだわりが感じられる贅沢な造り。

 

 

藍の模様が美しいトイレ。

 

 

普段は入れない離れ座敷。ちょうどこの日はガイドさんの案内で見ることができた。
昔にタイムスリップしたような摂田屋さんぽ。続きます…