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直江兼続の居城 与板城跡へ Ⅱ

 

 

早起きして訪れた直江兼続の居城跡。
鳥の声を聴きながら、朝陽が射す森を歩いていく。与板城跡の後編です。

 

 

与板城跡の本丸跡でひと休み。早朝の静かな時間を楽しむ。

 

 

本丸に立つ赤い鳥居。奥にあるのは城山稲荷社。

 

 

社の後ろ側にあった小さな祠。
お稲荷さんだけに、京都伏見のお酒が供えられていた。気がきいてる。

 

 

最初見た時、犬かと思ったが、きっとスマートな狐だったのだろう。
足が折れ、耳や尻尾も壊れてしまったようだ…
積まれた石に乗せられてなんとか立っているが、ダックスフンドみたいなシルエットにほっこり。

 

 

本丸の先は、「二ノ郭(二ノ丸)」「三ノ郭(三ノ丸)」が続く、野趣を感じるエリア。
久しぶりなので行ってみることに。

 

 

堀切の急な階段を降りていく。

 

 

本丸と二ノ郭の間にある堀切は10mはある深いもの。
今は階段があるので簡単に越えられるが、当時はそうはいかなかっただろう。

 

 

二ノ郭からは杉林に囲まれた道。
木洩れ陽のなか、涼しげなアジサイがところどころに咲いていた。

 

 

先日訪れた弥彦村黒滝城では、実際に激しい戦が幾度も繰り広げられたが、
ここ与板城が戦いの場となることはなかった。
米沢に移るまでの20年に満たない短い期間だったこともあるが、
兼続が治める城に攻め入ってくるような敵はいなかったのだろう。

 

 

二ノ郭と三ノ郭の間の堀切は比較的浅く、容易に行き来できるように造られている。

 

 

2009年の天地人ブームの頃は訪れる人も多かったが、それからもう15年。
今はひっそり静かな森に戻っている。

 

 

朝の森に鳥の声が響き渡って…  なんとも気持ちがいい。

 

 

三ノ郭の先に、また10m近い大堀切が現れた。
ここから何段もの細長い帯曲輪を超えていくと「千人溜」という郭。
以前行ったことがあるが、本当に千人の兵を揃えられるような広さだった。

 

 

今日はここまでにして、来た道をゆっくり引き返す。

 

 

「望む所の事は信の一字なり」

本丸跡に立っている直江兼続直筆書の碑。
武芸のみならず、文化人としての素養も身に付けていた兼続は、連歌漢詩にも優れた才能を発揮。
豊臣秀吉は有能で忠義にあつい兼続を「天下の政治を任せられる一人」と絶賛した。

 

実際に目の前にしたら、どんな感じの人物だったのだろうか。実際の姿や話す声を知る術はない。
ただ、ここを居城にしていたのは史実。
同じ場所に立って、同じように鳥の声を聴きながら景色を眺めていたのかも…
そう思うとなんだか感慨深い。

 

 

1598年、上杉家の会津への国替えと同時に与板城は廃城となった。
それから400年以上。
今は登山道も整備され、誰でも簡単に登ることができる。
朝の空気が満ちた森で、昔に想いを巡らせている時間は心地よかった。