NIIGATAさんぽびと

カメラを持って出かけよう

燃ゆる水

 

 

あたりに立ちこめる油の臭い。
日本最古の油田と言われるこの場所では、今も地中から原油が湧いている。

 

 

胎内市の旧黒川村地区にある「シンクルトン記念公園(黒川石油公園)」へ。

 

日本最古の油田と言われ、黒い川が流れるほどに原油が湧き出たことから、黒川という地名がついたという。
古くは「日本書紀」(668年)に、
「越の国、燃ゆる土(天然のアスファルト)、燃ゆる水(原油)とを献ず」と、
ここで採られた原油天智天皇に献上したことが記述されている。

 

この辺りの山林には油を採掘した井戸が無数に残り、今でも、微量ながら原油天然ガスが湧き出している。
駐車場内にも油が出ている場所があり、その匂いが立ち込めていた。

 

 

公園の入り口に立っている、石油採掘の櫓を模したシンボルタワー。

 

 

コンクリートの古い建物は「シンクルトン記念館」。
この黒川油田を発展させるきっかけになったイギリス人医師・シンクルトンを記念して建てられたもので、
古くから伝わる採油道具や機械掘りの模型などを展示している。(予約があった時だけ開館)

 

 

道の脇にこんな看板が。
耳をすますと、地面からガスが噴き出す音が聴こえる。無臭だが、深呼吸はしたくない場所…

 

 

記念館の脇を通って奥へ。

 


木々の中に現れたのは「臭水(くそうず)油坪」。


地表に湧き出た原油が溜まった黒い池。
油の強い匂いが立ちこめている。
江戸時代、原油は「臭水(くそうず)」と呼ばれ、燃料として一般的に普及していた。

 

ただの大きな黒い水たまりに見えるが、
この「臭水油坪」は国史跡、「黒川の臭水」は県の天然記念物に指定されている。

 

 

下の部分が真っ黒になった木。そこにホウキのようなものがぶら下がっていた。
これはシダを束ねた「カグマ」という、この地方でしかみられない採油道具。
近代的な採掘方法に変わる前は、これで水面に浮いた油をすくっていた。
日本書紀」に記された、天皇に献上した燃える水はこうやって採ったのだろう。
ずいぶんとアナログな方法ですね。

 

 

使われているのはリョウメンシダという植物。

 

 

緑が映り込んでわかりにくいが、地表に湧き出た油が酸化して、池は真っ黒…
こんなところで転んだら大惨事…

 

 

横たわった木も真っ黒。

 

 

注意して見ていると、あちこちでポコポコと何か出てくる。
原油が湧き出しているのだろう。 当然、公園内は「火気厳禁」です。

 

 

油坪を後にして、林の道を奥へ。

 

 

林の中に現れたのは、「異人井戸」「シンクルトン井戸」と呼ばれる、たて穴掘りの井戸。

 

明治時代になると、原油の採掘が本格的に始まり、
近代的で安全な油井戸の掘り方を教えてくれる人材を探していた。
明治6年村松浜の豪商が、長崎にいたイギリス人医師・シンクルトンをつれてきた。
シンクルトンは木枠をはめた安全な井戸の造り方を教え、そこから黒川油田は発展を遂げていく。

 

 

深さは10mほどあり、当時の木枠が腐らずに残っている。

 

 

木洩れ陽が気持ちいい遊歩道。

 

 

途中にもいくつかの井戸が。


この一帯に、こういう井戸が数百本あるという。中には20m以上の深いものも。
そういえば、駐車場の裏山の前に、
「この山には深い井戸が無数にあり危険です。中には入らないでください」と看板があった。
整備された公園の道だけ歩きましょう。

 


遠い昔、この地から天皇へ献上した燃える水「臭水(くそうず)」は、
その後、家や神社の柱などの防腐材、風呂をわかす燃料、電気のかわりの灯明、
漁船や灯台の燃料、小学校の給食をつくる際の燃料などとして、人々の暮らしを支えた。

 

昭和になると本格的な機械掘りがおこなわれ、黒川油田は最盛期を迎えたが、戦後は徐々に衰退。
そして昭和55年、千年以上続いた黒川油田は幕を閉じた。

 

 

日本最古の黒川油田。
気まぐれで立ち寄ったが、今もひっそりと湧き出ている原油天然ガスに大地のパワーを感じた。
あたりに立ちこめる油の匂いも五感をくすぐった。(ものは言いよう)

 

またここから原油がガンガン湧いてきたら、県内のガソリン価格は下がるかなあ…
なんて、呑気な妄想を膨らませた。