国上寺を後にして奥の道へ。
木々に囲まれた静かな道を歩けば、五合庵や千眼堂吊り橋など、いろいろな風景に会える。
国上寺から麓へ下りていく道。
途中、寄り道してモミジに囲まれた広場へ。
東屋のある広場は新緑の空間。エアーポケットに入ったような静けさ。
道に戻って五合庵の方へ下っていく。
高い木に囲まれた静かな石段。途中、苔むした大きな岩も。
良寛さんが40歳の頃から約20年間暮らした「五合庵」に到着。
静寂に包まれたこの簡素な庵に、良寛さんが暮らしていたのは200年以上も前のこと。
現在の庵は大正時代に再建されたもので、県の文化財になっている。
本当にここに20年も暮らしていたのかと思うほど、狭く質素なもの。
家具もほとんどない簡素な茅葺きの庵で暮らし、
坐禅修行と村々への托鉢の生活を続けていた良寛。
こんな逸話がある。
ある日、良寛が寝ていると泥棒が入ってきた。
しかし質素な庵には盗むものなど何も無い。
仕方なく泥棒は良寛が寝ている布団を剥ぎにかかった。
寝たふりをしていた良寛は、泥棒が剥ぎやすいようにわざと寝返りをうって布団を与えてやった。
このとき詠んだ歌が 「盗人(ぬすびと)に とり残されし 窓の月」
(泥棒はなんでも持って行ったが、窓から見えるあの月は取り残していったようだ)
また、こんな逸話も。
長岡藩主牧野忠精が良寛を城下に招こうと庵まで行ったが、
良寛は無言でこんな句を示したという。
「焚くほどは 風がもてくる 落ち葉かな」
(私が庵で煮炊きするくらいは、風が運んでくれる落ち葉で十分間に合う。
この山での暮らしは、貧しくても満ち足りております)
いっさいの名誉や欲を捨て、束縛からも離れ自然に任せることで、
ただ一人の人間であることを選んだ良寛。
良寛の歌や書は高い評価を得ているが、人柄が滲み出た優しい筆運びは見ていて心が癒される。
どこにも属さず、何も持たず、自然と子どもたちを愛し、あるがままに生きる。
私も含め現代人には、なかなか真似できないことですね。
さて、帰りは吊り橋を渡って朝日山展望台へ。
国上山の中腹に架かる、五合庵と朝日山展望台を結ぶ「千眼堂吊り橋」。
「新潟の橋50選」にも選ばれている。
橋の下は千眼堂谷。谷底までは約35mの高さ。
長さは124m。気持ちのいい空中散歩。高いところが苦手な私でもこの橋は大丈夫。
展望台の広場に残っていたヤマボウシ。
子供たちと遊ぶ良寛さんの像。
夕方の静かな時間を楽しんだ国上山でした。