NIIGATAさんぽびと

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妃神を祀る神社へ

 

 

弥彦山頂を挟んで彌彦神社のちょうど反対側、海に近い寺泊野積にある妻戸神社。
彌彦神社の大神・天香山命の妃神が祀られている。

 

 

彌彦神社の摂社である妻戸神社は、
彌彦神社の大神・天香山命の妃神・熟穂屋姫命(うましほやひめのみこと)を祀る神社。
多くの人が訪れる彌彦神社とは打って変わり、人の気配は無くひっそりしている。
だからと言って荒れた様子がないのは、大切に守られている聖地ということだろう。

 

 

鳥居は全部で四つ。一つ目は石造り。
木立に囲まれた参道に一歩足を踏み込むと、スッと空気が変わった気がする。

 

 

二つ目は朱塗りの鳥居。緑の中に朱色がよく映えていた。

 

 

木洩れ陽が射す薄暗い参道。
緑に囲まれて気持ちいいのだが、どこか畏怖を覚えるような空気感。

 

 

細い道を抜けると明るく平坦な場所に出た。
そこに広がる一反ほどの田んぼは「彌彦神社の御神田」。
彌彦神社宮司や地元の方々が集まって、春にはお田植え祭、秋には稲刈りがあり、
ここで収穫した稲穂は彌彦神社に奉納されるという。

 

 

三つ目の鳥居をくぐって、また林の中へ。
大きな木の向こうに東屋が見えてくる。

 

 

知識がないので種類は解らないが、ずいぶん大きな木だ。
根元から何本もの太い幹に分かれ、まわりを覆い尽くさんばかりに枝を広げている。

 

 

光に向かって伸びる枝。こうして見上げていると、木に守られているようで安心する。

 

 

神事のためのものだろうか、椅子や壇が置かれていた。

 

 

四つ目の鳥居の向こうに石段が続いていて、
二十段ほど上ったところに石の瑞垣に囲われた小さな本殿がある。

 

 

昔はそのまま上がって行けたのだが、今は入ってはいけないようになっていた。
お参りは石段の下で、ということなのだろう。

 

 

狛犬も怖い顔で見ているし。

 

 

樹々に覆われて解りにくいが、本殿の背後にある巨岩が妻戸神社の御神体で、
「妻戸岩」「妻問い岩」「口開け岩」などと呼ばれている。
ここへ来るまでの参道にも神聖な空気が漂っていたが、
ここは特にその「気」が強く、ここより上へ進むのがはばかられる感じがする。

 

 

この地にまつわる伝説はいくつもあるようで。
こんな言い伝えもある…

 

「キコリの化石」(口あけ石)

大和から越後に派遣された彌彦の神は、
女は足手まといになるという理由から、大和に美しい妃を残してきました。
しかし、妃は夫に会いたくて越後に向かい、野積の近くまで来ました。
これを人づてに聞いた彌彦の神は、もうしばらくすれば越後の平定が終わるのに、
今妻に来られては大変だ、と黙って山の中に隠れることにしました。
山へ登る途中に出会ったキコリに、
「私をたずねてくる女がいるだろうが、絶対に話してくれるな。
もしも、約束を破ると、おまえを石にしてしまうぞ。」と、口止めしました。

数日後、妃はキコリと出会い、神の行方をたずねました。
キコリは妃が気の毒になり、つい行き先まで話してしまいました。
すると、妃の見ている前で、キコリはたちまち石になってしまいました。
驚いた妃は石にとりすがってわびましたが、石は秋のにぶい陽を浴びて転がっているばかりでした。
妃は自分の仕打ちを悔い、恋しい夫に会うのをあきらめて、そこに草庵を建て、
一生、石になったキコリの霊を慰めて暮らしました。
この石は、今も妻戸神社の一隅に置かれているといいます。

というもの。(弥彦村のHPより抜粋)

 

はて、

夫を慕って追いかけてきた奥さんは何も悪くないのでは?
夫婦の間のことなのに、なんで無関係のキコリが石にされなきゃならんのか?
そもそも越後を平定するのに、奥さんに来られると何かマズいことでも? 
いろいろとツッコミたくなる話である。伝説にいちいちツッコんでもしょうがないんですが…(笑)

 

 

ちなみに別の伝承では、
後を追ってきた女性は、大和に残してきた妃ではなく、
野積浜で十二人の子をもうけた妻「おヨネ」という女性で、
それが嫌になって彌彦大神が身を隠そうとした、という説もある。

うーん、だとすればただのダメ男である…

 

ちなみに彌彦神社の公式HPでは、
妻戸神社に祀られている妃神・熟穂屋姫命(うましほやひめのみこと)は
熊野に残してきた妃ということになっている。

 

 

神社入口の看板に書かれている「由緒」はというと…

 

大和朝廷から越後国開拓の勅命を受けた彌彦大神は、野積に先ず上陸し、
製塩、網での漁獲、酒造など新しい文化をもたらした。
その後、さらに越後の原野を開拓するために野積から弥彦に移るとき、
十八メートルほどの大岩に登り、
野積一帯が平穏になったことを感慨を持って眺めつつ、大和に残してきた愛しい妃神を追慕し、
つま問う姿はとても尋常ではなく、人々はその様子を見て涙をながしたという。
人々はこの大岩の前に小さな石のほこらを建て、妃神を祀った。
彌彦大神が妃神に「妻とい」をしたことから妃神は妻戸神と称され、
大岩は御神体と尊ばれ、妻戸岩、妻問い岩、口開け岩と呼ばれるようになった。

 

他の伝説に比べるとずいぶん美談。まあ、これが「公式」ということなんでしょうね…

 

 

古来より、森羅万象あらゆるものを神格化して崇めてきた日本人。
全国には神を祀った場所が星の数ほどある。(ちなみに新潟県の神社数は全国一です)
神が祀られた場所に来ると、非日常的な何かを感じて神聖な気持ちになるのは、
日本人の性かもしれない。