NIIGATAさんぽびと

カメラを持って出かけよう

先人の暮らし

 

 

古い教室でほっこりした後は、昔の暮らしの道具を眺める。
弥彦村ふるさと学校の続きです。

 

 

「まなぶ部屋」の隣は「くらす部屋」。昔の農具など、暮らしに使われた道具が並んでいる。

 

 

廊下まで飛び出して置かれているのは田船(たぶね)。

水田の中を、苗や刈り取った稲や肥料などを運んだ小舟で、底が浅く平らにできている。
泥の沼地が多かった蒲原平野では欠かせない舟で、
どこの家でも2〜3艘はあり、誰でも上手に操れたという。

 

 

たくさんあった田船は、田んぼ仕事以外にも利用された。

上の写真は、広大な沼地を埋め立てる大掛かりな土木工事の時の様子。
大量の土を運ぶ手段として、各家々にあった田船が役に立った。
土を積んだ舟と空になった舟が、工事用の水路をすれ違っている。
(展示パネルより)

 

 

この埋め立て工事は、戦争を挟んで50年ほど続き、1953年に終わった。
農繁期を避けながら、親、子、孫へと、続いたことになる。
今、弥彦山の前に広がる美しい田園風景は、こうした努力でできたものだと思うと、
ちょっと違って見えてくる。

 

 

棒を突っ込んだ一升瓶は、今でいう精米機。

瓶の中の玄米を棒でつついて表面を取り、白い米にする。
今と違って、ご飯を食べるまでにいろいろな工程があった分、ありがたみも大きかったでしょうね。

 

 

米や豆、麦、そばなどをひいて粉にした石臼。

 

 

その次の教室には、身近な生活道具が展示されている。
鍋、釜、おひつ、臼、おけ、籠、食器など、地元の家で実際に使われていた道具たち。

 

 

それぞれに使っていた人の思いがあったのでしょうね。

 

 

廊下にあったワラジ。

 

 

レトロなものに興味のない人にとっては、あっという間に見終わってしまう小さな校舎。
私のようなモノ好きは、
静かな教室でほっこりしたり、昔の暮らしに思いを馳せたりしながら、つい長居をしてしまう。
というわけで、あと1回だけ続きます…