煙が立ち込める薄暗くひんやりとした土間は昔にタイムスリップしたよう。
雪深い地で、今も当時の姿をとどめる豪農の館へ。
魚沼市須原にある目黒邸へ。
訪れたのは2月中旬。
県内でも有数の豪雪地帯なので、例年なら深い雪に覆われているはずだが、
今年は道路に雪もなく、スムーズに来ることができた。
大きな茅葺屋根に特徴的な千鳥破風が目を引く。
現在の目黒邸が建てられたのは1797年。
豪雪にも負けない頑丈な造りで、200年以上経った今も当時の姿を残している。
国指定重要文化財。
中に入ると、ひんやりとした広い土間。
いつも囲炉裏に火が焚かれているのだが、この時は火は見えなかった。
湿った木でもくべたのか、それとも消したばかりだったのか、猛烈な煙が立ち込めていた。
土間のまわりは使用人の生活スペース。 控の間、路地、女中部屋、下男部屋、馬屋などが並んでいる。
最盛期には家族や使用人、奉公人など総勢20名、馬2頭が生活していた。
馬屋に積まれた大量の薪。
土間のまわりはすべて黒く燻され、炉地の床はツヤツヤ。
土間から小さな囲炉裏がある茶の間へ。
座敷の敷居はかなり高くなっていて、土間とはっきり区別されている。
部屋を見渡すと神棚がいくつもあった。
昔の人にとって、神仏に祈ることは大切なことだったのだろう。
大理石でできた大きな配電盤。
目黒家では、大正時代の初めに、すでに電化生活を始めていたという。
大正2年(1913年)、近くの須原発電所が発電を始めると、目黒家はいち早く電化生活を開始。
この配電盤はドイツ製で、大正11年に付けられたもの。
実は、大正7年(1918年)、新潟県で最初に自動車を購入したのも目黒家。
当時の自動車番号は、新潟県庁が「新1号」で、次の「新2号」が目黒家だったという。
本当は目黒家の方が早かったのだが、県庁に敬意を表して「新2号」の番号にしたらしい。
茶の間の脇は、番頭が年貢などの勘定を行った広間。
その奥が役所事務を行った槍の間。そして中の間、小座敷と続いている。
目黒邸、後半へ続きます…